理解してもらえると嬉しいのは、それが最悪生死に直結するから

こんにちは、なゆたです。

今日は、なせ人は自分のことを理解してもらいたいのか、そして、理解してもらったらすごく嬉しいのかを考えてみたいと思います。

あなたもそうだと思いますが、自分のことを理解してもらえたと思ったら、とても嬉しいですよね。

親だったり、配偶者だったり、子供だったり、学校の先生だったり、上司だったり、友達だったり。

それが誰であるかに関わらず、自分のことを理解してもらえたら幸せな気持ちになります。

なぜそのような気持ちになるかということを考えると、それが最悪の場合、自分の生死に直結するからだと私は思います。

例えば、自分が病気になったとします。

それを誰も理解してくれなくて病気がどんどん悪くなったら、最悪死にます。

少し理解してくれて病気になっていることが分かっても、なんの病気かまでは理解できすにただ看病するだけだったら、やはり死ぬかもしれません。

しかし、自分が病気になっていることを理解してくれて、さらにその病気の治し方を理解している人がいれば、その人が病気を治してくれて生き延びることができるかもしれません。

つまり、自分のことを理解してくれる人がいるかどうかで、生き死にが決まってしまうかもしれないのです。

これはちょっと極端な例かもしれませんが、会社で上司に理解してもらえるかどうかは働きやすさや評価に直結しますし、家族に理解してもらえるかどうかは家族円満な生活を送れるかどうかにも直結します。

だから、人は誰からでも理解してもらえたら嬉しいのですね。

そう考えると、人は2つの努力が必要になってくると思います。

一つは、他人のことを理解しようとする努力、そしてもう一つは、自分のことを理解してもらおうとすう努力です。

人は理解されたら嬉しいのですから、あなたもその人のことを理解できたらとても喜ばれます。

ここで注意しないといけないのは、理解したつもりになっただけでは意味がないところですね。

あくまでも、相手にとって自分のことを理解してもらったと思われなければ効果がありません。

あと、もう一つ大事なことは、自分のことをきちんと理解してもらおうとする努力です。

人間はエスパーではありませんので、他人のことを本当の意味で理解するのはとても難しいです。

特に、自分が何も相手に伝えなければ、自分のことを理解してもらうことは不可能に近くなるでしょう。

だからこそ、自分のことを正しく相手に伝えることも大切なことだと思います。

ついつい、自分からは何も理解してもらおうとするアクションを取っていないにも関わらず、相手は全然自分のことを理解してくれないと思ってしまうことがありますからね。

生きて行くうえで、相手を理解する努力、自分のことを理解してもらう努力は絶対に必要なスキルになると思うので、しっかりと身に着けて行けたらと思います。

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